GLAYのリーダーTAKUROは曲に込めるロックを”憧れ”から”メッセージ”へとシフトさせた!!

つぶやき

GLAYって、デコイチ世代に近い方は”ヴィジュアルバンド”的なイメージを持っていることが多いんじゃないかな~(#^.^#)

それと比べ、ここ最近(感覚的には2000年代くらいから?)ファンになった方は、とてもとてもヴィジュアル的なイメージはほぼ無いと思います!

インディーズからデビューしたての頃はすごかったんだよ、ほんと(笑)・・・いや笑っちゃいけない(@_@;)

元々彼らは、BOOWYやらX JAPANなど国内バンドやBEATLSやらデヴィッド・ボウイなど海外バンドに憧れを持っており、それを意識したイメージをバンバン出していました(^-^)

しかし、それは外見だけでなく、音楽に対する考え方もヴィジュアル的なロックだった!

しかし、現在のGLAYはその”ロック”をただの音楽としてではなく、発祥当時の”ロック”の意味を強く意識しており、リーダーのTAKUROさんはそれを熱く語っています(●^o^●)

 

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GLAYのロックは時とともに変化した!!

まず、言わせてもらいますが、GLAYは1990年代と2000年代では曲がま~~~~~ったく違います!

何と言うか、音とか声の出し方とか曲のイメージというか・・・とにかく全然違っているとデコイチは感じる(*_*;

その変化は非常に大きなもので、昔からのファンは戸惑った方も数多くいるでしょう!

その変化に耐えられず離れて行った方もいれば、その変化が適合して新たに引き込まれた方、特に心境は変わらずGLAYに着いてきている方、人それぞれだと思います(#^.^#)

ただ、GLAY自身は個人的に戸惑うこと無く変化したんじゃないかなと思うの(^-^)

いや、細かく言えば喜怒哀楽があったり、天国と地獄を経験しているだろうけど、この音楽性の変化において、本芯はGLAYが結成当時から寸分のズレておらず、目に映る光景の変化で”アレンジ”されただけの状態だと感じます(^^♪

そういう視点で見ると「変化」というよりも「時の流れ」と言った方がシックリくるのかも・・・(^v^)

GLAYのロックへの想いがシフトチェンジ!?

1990年代はデコイチの音楽に対する見方が変わり、GLAYはその大きな要因でした!

いろんなアーティストがいましたが、GLAYはその中でも異色のオーラを放っていました、デコイチ的に・・・

出す曲出す曲みんな”ミリオンセール”で、音楽シーンに大きく君臨していたの!

ただ、その裏で、TAKUROさんをはじめ、GLAYは葛藤と闘い続けてきました(*_*;

[voice icon=”https://glaymaniac.com/wp-content/uploads/2017/07/ta.png”  type=”l icon_black/icon_blue/icon_yellow/icon_red”]デビューしてから数年は、認められたい、売れたいと、心に不純物が混ざっていた[/voice]

デビューしてから20年以上継続してきたからこそ、こんな風に捉えることができたんだと思います!

音楽を始めたキッカケはいろいろあると思いますが、それで生きていくためには、音楽界でのし上がって行かなければならず、認められたいという気持ちは人間誰もが思うことです。

ただ、それはあくまで”生きていくための手段”に気持ちがシフトしており、純粋に音楽を求めている気持ちとはかけ離れていたんだと、今だからこそ感じることができるんだろうな~(*^_^*)

 

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転機はアノ名曲だった!TAKUROさんの等身大!?

[voice icon=”https://glaymaniac.com/wp-content/uploads/2017/07/ta.png”  type=”l icon_black/icon_blue/icon_yellow/icon_red”]転機になったのが、96年の「BELOVED」。メジャーになって初めてフォーキーな曲を出したけど、それこそが等身大の自分だった。それまでは、ロックへ憧れてカッコつけているところがあった。でも、「BELOVED」が多くの人に受け入れられたことで、もう憧れに頼って曲を書くことがなくなった[/voice]

その当時、【BELOVED】はPV(広大な赤い台地で、手を広げてる人がいる・・・)の一部しか印象ありません(笑)

ただ、デコイチよりも音楽を認知し聴いていた人々は、名曲として認識していたんですね!

確かに当時のGLAYは刺々しいイメージ(例外もいくつかありますが・・・)があり、ここまでフォークなバンドではありませんでした(今思えば・・・)

コレがTAKUROさんの”作りたかった音楽”で、それまでの”憧れ”をあえて崩すことで、等身大の自分を映し、それが多くの人に受け入れられる・・・これってすごく幸せじゃないですか!?

”憧れ”を抱くことは大事で、それがカッコつけることでも大いに結構です!

ただ、それが自分の本心から望むものなのか?

本心を隠して”憧れ”を被って、真にやりたいことはできるのか?・・・いやできない・・・

だって、その”憧れ”は「ズレた憧れ」だから・・・

だって、すごく苦しくて辛くない!?

大きな帽子被ると、目の前見づらくて、見えるように大きな帽子を手で支えなきゃいけない・・・やりたいことやっているのに、とても疲れちゃいませんか~(-_-;)

そんな心境だったんだと思うの。

思い切って、思う通りに解放した結果が認められれば、気も楽だし、何より本当の意味で幸せ感じられますね(^_-)-☆

 

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GLAYの本質は仲間との他愛のないバンド人生!?

[voice icon=”https://glaymaniac.com/wp-content/uploads/2017/07/ta.png”  type=”l icon_black/icon_blue/icon_yellow/icon_red”]結局、青年期に内包するものすごい熱量を、死ぬまで持ち続けられるかどうか。それがロックバンドの命綱なんだと思うな。ヒット性、親和性のある曲を出す作業はその時々のプロがやるんだけど、お客さんがロックに求めるのは、実はそこじゃない。バンドは、どこまで行っても生き方やメッセージが大事で、お金や仕事じゃなく、楽しんでいるかどうか。バンドの真価をはかるのは、そこ。どんなに年を取っても、くだらないことにこだわって、アツくなったり喧嘩したり。そんなことに、俺はものすごくロマンを感じるから。10代の頃から変わらぬ楽しさでバンドを続ける、その純度の高さと熱量を、GLAYは一番大事にしているし、今後もしていきたいですね。[/voice]

青年期って一生の中でも心が良くも悪くも爆発する時期

そんなとき、熱中できるものに取り組むことが、何よりの楽しみだし幸せ

GLAYにおいてそれは”音楽”で、憧れを目指し、がむしゃらに頑張る・・・青春ですよ(*^_^*)

しかし、いつからかその”憧れ”の方向がズレ、求めていたロックと意味合いが異なると感じてきた・・・

世の中に親和性のある曲は、別に悪くないと思う。

しかし、それは「世の中に受け入れられるように、外れないように」作った曲であり、本来の「自由奔放でやりたいことを全力で出す」ロックとはズレてきた・・・

押さえつけられた音楽は、開放感や楽しみが薄れて、本来の意味合いが失われてしまった。

いつしか、カッコよくてお金を稼ぐことよりも、内なる心を解き放つこと”憧れ”がシフトしてきたんだな~(*^^*)

そのために必要な仲間、お互いがすべてを打ち明けられる仲間もいるし、その考えのシフトは必然だったんだと思うの!

楽しみながら、自分たちの思うメッセージを送り続けることの純度を保つことにロマンをデコイチもすごく感じるよ(#^.^#)

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